株式会社三葉製作所

三葉製作所のものづくりMISSION

三葉製作所のものづくりのルーツは、1930年、現在の東京都品川区で、電車のパンタグラフの溶接を請け負った時点に遡ります。僅か3名で町工場を立ち上げたことから、「三葉」と名付けられました。
1941年には海軍監督工場に指定され、1945年には戦禍により工場を失い、いわば歴史に翻弄されながら、長野県上田市に工場を疎開し、今日に至ります。
下請の溶接業からの脱極を期し、いつか自社製品を世に出したいという夢を「ゴム押出成形機」という未知の分野に賭けました。失敗を繰り返しながらも、長い時間をかけて、<押出機なら三葉>と認知されるに至りました。
現在では、ゴム押出機の技術を樹脂押出機、電線製造装置などに展開し、発泡樹脂押出や2軸押出機など、新たな技術に挑戦しています。

私たちの製品は、単なる物体ではなく、「使用価値」を伴います。「つくり手」としての出発点は、その機械がどのような働きをして、どのような製品を作り出し、どのような価値を生み出すのか、その結果、お客様や、その従業員、お客様の製品のユーザーなど、広い裾野に対してどのような「意味」を持つのか、それを想像することです。
小手先の課題を解決するだけでは、本当に良い製品は生み出されません。ましてやイノベーションなどを語るにはおこがましいにすぎるでしょう。私たちの技術者は、まず製品の本質を想像し、そこから設計し、製造することから「ものづくり」を始めました。
零細企業の技術者が、大手企業に生産設備を供給できるようになった、その成長の源泉は、技術者たちの想像力と最後までやり遂げるという情熱でした。

金属部品を自社で精密加工するには、「高価な設備」と「腕のいい職人」が不可欠です。資金には限界があり、人も一朝一夕に育つものではありません。幸い長野県、上田市には工業の歴史、教育機関など、「腕のいい職人」を輩出する土壌がありました。時間と労力をかけ、設備を整え、人づくりを進めた結果、当社は専門の金属加工会社に負けない部品生産能力を身に付けたのです。
これにより、上田工場はお客様のニーズをくみ取る営業、それを実現するための設計者、設計のコンセプトを実体化する製造部隊が一体となる工場に生まれ変わりました。
設計者と作り手が相互に影響し合い、フィードバックを重ね、お互いを不断に高め合える<一貫生産>の製造拠点は、100年に迫る歴史、技術者や職人の情熱、サポート企業、お客様の想いに支えられ、こうして生まれました。